[賢人インタビュー]ゲスト:石郡英一

「人間50年……」と織田信長が辞世の句を謳って400年余りが経った今、食料事情の充実や医学の進歩などにより、日本人の寿命は当時に比べて倍近くに伸びました。
ところが現在日本ではこの長寿に伴い、脳卒中や転倒による寝たきり、さらには認知症などによる要介護者の増加が顕著で、介護の提供、財源、人財など多くの介護問題が生じています。この現実から私達は目を背けることはできません。そして、実際の介護場面で生じる問題は、このような社会的概念ではなく、要介護者本人ならびに家族の「介護はどうすれば良いのか、お金がない、介護者が居ない」などといった具体的かつ切実な問題です。多くの場合介護の道のりは、生活の歩みを止めるでこぼこ道でとても険しい道のりと思われがちです。
誰もが、介護の初心者です。しかし、経験や知恵を積んだ専門家に話を聞けば、でこぼこ道もすぐに歩けるようになるでしょう。約40年に渡って介護現場に携わり、介護について多くの著書を執筆されている先駆者・石郡英一氏に、介護についての「ものの見方・考え方」を伺ってみました。

石郡英一氏略歴
1961年島根県松江市生まれ。日本福祉大学社会福祉学部卒業。名古屋市立中央看護専門学校卒業。看護師・救急救命士の資格を持つ。看護助手からキャリアをスタートし、介護分野で先駆者となる。「現場10年・管理10年・経営10年。医療と福祉、経営管理と現場をファシリテートする」をうたい文句に、2003年、医療・福祉・介護のコンサルタント会社を設立。プログラムがサービスを変え、システムが現場意識を変えるノウハウを提案し、経営と運営のバランスを提唱する。

介護現場が見失っていること

―様々な介護の現場を経験されてきたと思いますが、実際の介護の現場で大切な事があればお聞かせ下さい。―

在宅や施設における介護の現場では、要介護者の皆さまを介護者の皆さんが甲斐甲斐しく支えてらっしゃいます。しかし時折、ふと悲しくなる場面に遭遇することがあるんです。それは、要介護者の「誇りを傷つける行為」を、介護者が「支えている」と勘違いされているときです。
「流動食やPEG(胃瘻)からの食事はつまらない」
要介護者の皆さんは口を揃えておっしゃいます。要介護者がいう「つまらない」は、「人生がつまらない」なんです。対して、介護者の皆さんが気にする「つまらない」は、「喉に物がつまらない」ことだったりします。
「おむつの中で排泄はしたくない」
要介護者の皆さんは口を揃えておっしゃいます。そして、要介護者の皆さんは「尿が出るから飲みたくない」「便が出るから食べたくない」というのです。対して、介護者の皆さんは、その思いを汲みとれずに、「飲まないと脱水になりますよ」「食べないと低栄養になりますよ」と無理やり食べさせる。大きなお世話をなさっているんです。
問題の本質がわかれば、どうすべきかがわかります。おむつ介助を止め、トイレでの排泄を介助するようにすればよいのです。おむつは、人が持つ羞恥心を捨てなければ、受け入れることはできないものです。そして、羞恥心を捨てた方々は、人としてとても大切な「誇り」も同時に失うのです。要介護者の視点に立ち、人としての尊厳を守ることこそが、介護の原点です。言い換えれば、介護とは要介護者の皆様に「人としての誇りを取り戻していただくこと」でしょう。介護者は、この本質を見失うべきではないと感じます。


―人としての誇りを取り戻して戴いた、分かりやすい事例がありましたら簡単にご紹介戴けますか―

要介護4(介護がないとトイレも着替えも難しい段階)の方がいらっしゃいました。その方は昔、豪華客船のシェフをなさっていた方でした。もう、行動する意欲もなく、ほとんど寝たきりです。そこで、この方の五感に働きかけようと、お部屋を食堂の前とし、調理の香りが部屋に漂うようにしたんです。すると次第に、現役時代を思い出されたのでしょう。
「私が作る料理はもっと香りがいいんだ」
とおっしゃるようになりまた。すかさず、こちらから「一度食事をお作りいただけませんか?○○さんの料理を食べてみたいです」と水を向けた。「よし、分かった! 食べさせてあげよう」と、その気になられたのです。この機を逃すわけにはいきません。介護者はどんどん「どのような料理がお得意ですか? その料理も食べてみたいです」と話しかけた。それを支えにリハビリにも積極的に励まれるようになり、最終的には要介護1(日常生活のなかで歩行等の部分的な介護が必要な段階)にまで回復されたんです。

―まさに「誇り」の回復を支えられた良い事例ですね。この事例を含めて、ご支援なさる際気をつけなければならない事がございますか?―

人は人生という長い道のりを、自らが運転する車に乗り、自らの目標に向かって進んでいくようなものです。このときに大切なのが足元の「タイヤ」です。
前輪のタイヤは方向性を決めるタイヤで、後輪のタイヤは駆動するタイヤです。この人生のタイヤの前輪は「タ…楽しみ・イ…居場所・ヤ…役割」を指し、後輪は「タ…体力・イ…意欲・ヤ…病まない」を指します。
つまり人は、楽しい方向にハンドルを切り、居場所のある方向にハンドルを切り、役割のある方向にハンドルを切って目標地に向かいます。さらに前に進むために、体力をつけて躯体を駆動し、意欲をつけて躯体を駆動し、病まないようにして躯体を駆動します。つまり介護者にとって、要介護者を支援する際に気をつけなければならないのは、要介護者のタイヤをバランスよくメンテナンスしてあげることだと思います。

認知症の前段階(MCI)なら治る!

―介護する側としては、「寝たきりも困るけれども、認知症はもっと困る」という声をよく耳にしますが、認知症についてお聞かせください―

基本的にどなたであっても、「介護の姿勢」は何も変わりませんし、変えるべきではありません。「認知症」とレッテルを貼ることが、そもそもよくないのです。個人を「認知症」という固有名詞でひとくくりにするのではなく、「○○さんが認知症状をお持ちである」という考え方をするべきだと思います。
ご自分の親御さんが認知症と診断された際、「性格がとても穏やかで、良い母でしたが、認知症になった後は性格が変わり、悲しく思います」と表現される方がいらっしゃる。複雑な心情ですが、これはとてもいい。なぜなら、認知症の方の人格は否定せずに、認知症状のみを悲しんでいるからです。

ところで、この機会に申し上げておきたいのですが、物忘れや幻覚、怒りっぽいなどの認知症状をお持ちの方であっても、それが即、認知症というわけではありません。認知症の一歩手前の段階かもしれないのです。
現在の医学では、脳の萎縮が始まってしまうと、一般的には脳の認知機能が不可逆的(元には戻らない)になるとされ、「認知症」と診断されます。しかし、「脳の萎縮はないが、認知症状がある場合」をMCI(軽度認知障害)と呼び、認知症と区別しています。MCIの5~15%の方が認知症へとコンバート(移行)する一方で、なんと14~44%もの方がリバート(回復)すると言われているんです。つまり、認知症の前段階であるMCIは、回復するということが分かっています。あきらめないことです。

―ではどうすれば認知症状は回復するのでしょうか。お聞かせ下さい―

認知症状をお持ちのMCIの方に対しての支援で大切なことは、「食事・運動・知的活動」の支援です。
食事に関しては、糖尿病に罹患すると認知症のリスクが高くなることが分かっていますので、①食事は野菜から召し上がっていただく、②米などの炭水化物を過剰に摂らない、③3つの「あ」(油物・甘い物・アルコール)を控える、④魚・肉料理などをバランスよく食べるなどの工夫が必要です。
運動に関しては、1時間の散歩など有酸素運動を中心に身体を動かすことをお勧めします。日本整形外科学会では散歩の他に、①ダイナミックフラミンゴ療法(朝・昼・晩、片足立ち左右各1分ずつ、1日合計6分の片足立ち)、②スクワット(腰を落として5秒静止する運動を5セット)を推奨しています。
知的活動としては、料理教室、カラオケ、麻雀、囲碁・将棋など、ご自分の好きな趣味の活動をなさると良いと思います。とくに料理教室、カラオケ、麻雀など友人とのコミュニケーションを取れる環境は、頭・口・手を使う為、MCIの回復にはとても有効であると言っていいでしょう。


―支援された事例で、面白い事例がありましたらお聞かせ下さい―

ちなみに私の母は、約10年前からパーキンソン病を患い、今ではヤールの5(ホーン・ヤールによるパーキンソン病の分類。レベル5は車椅子が必要な状態)となり、介護施設で闘病生活を余儀なくされていて、時に「幻視がある」と話すのですが、介護施設で行われる句会に喜んで参加しています。句会では、先生から前の回に出されたお題に沿って、次の回に参加者が考えてきた句を持ち寄り、誰の句が良かったか投票するのだそうです。母は句会の板書を任されたりするので、毎回何時間もかけて俳句創りに勤しんでいます。
ある日、句会が終わり、上機嫌の母に「お母さん今日の俳句の出来はどうだったの?」と聞くと、「今日の句は良いと思ったけど、あまり票が入らなかった」と言う。その句を聞くと、先日母からお題を聴いた私が、自分なりに走り書きした句を、母は自分が詠んだと思いこんで提出していたのです。「それで、何票入ったの?」と興味本位に尋ねると、「先生を含めて13名中2票よ」と笑って話しました。「自分で自分に票を投じたので実質は1票ね」と残念そうに言うので、私は「全然評価されなかったね! 実はあれはぼくが走り書きした俳句だよ! お母さんの句じゃないの!」とカミングアウトして笑い合ったのです。母は現在、身体は難病に蝕まれ、体力はほとんど無くなっており、後輪のタイヤは「意欲」だけで駆動していますが、前輪のタイヤ(楽しみ・居場所・役割)はしっかりハンドル操作が出来ているようです。
また、晩年アルツハイマーを患い在宅で介護した、15年前に他界した祖母に対しては、「おばあちゃん、私は相撲が好きだけど、仕事で相撲を観ることができません。毎日相撲をテレビで観て、結果を教えてもらえませんか?」と頼んでみました。すると、毎日私の為に相撲を観戦し、勝ち負けや決まり手を手帳に書き留め、私が帰宅すると15分くらいかけて私に報告してくれていました。その時の祖母の表情はとても生き生きしていて、楽しそうに話す姿が印象的でした。
このように、認知症の方に対しては、「楽しみ・居場所・役割」を意図的に創造することがいいと思います。

「まあいいか」がとても大切

―希望の持てる話をありがとうございました。ところで、最近では「介護」というキーワードをネット検索するだけで大量の情報が溢れており、右往左往してしまうのが実情ですが、最後に介護を行う中で、石郡さんが最も重要視されていることがあれば教えて下さい―

一言でいえば「妥協すること」です。簡単に言えば、「まぁいいか」という落としどころを見つけることです。介護で重要な点は、「欲」と「科学的知見」と「社会的知見」の3者をどう落としこむかなんですよ。
欲とは要介護者の欲求です。食欲・排泄欲・睡眠欲など。欲は生きる源ですので、欲を封じるとその方は廃人となり、生きる気力を無くします。冒頭に述べた流動食やPEG(胃瘻)からの食事の事例や、排泄の事例はまさにその典型です。
科学的知見とは、医学・薬学・栄養学といった、科学的見地に基づく支援内容のことです。病院などの治療機関では、「治療することが本分」とする絶対的な価値観が存在します。
社会的知見とは、法律・道徳・宗教・家族・経済といった、社会的なルールに基づく支援内容です。国や風習、宗教の違いなどにより、価値観が大きく異なることがあるものです。
残念ながら、介護の場面では、これら欲と科学的知見と社会的知見の3者がきれいに交わる事はあり得ません。必ず歪が生じてきます。介護においては、この歪を無視して、白黒はっきりさせるのは、状況を悪化させるだけです。たとえば、当該の要介護者は鰻が大好物とします。医師からは「肝臓が悪いから鰻を食べてはいけません」、家族からは「そんな高価なものは食べないで」と言われているとしましょう。
出来の悪い介護者は、「ご自分の人生ですので好きなものを食べれば良いですよ」と言ったり、あるいは「医師の指示ですから食べてはいけません!」と言ったり、はたまた「ご家族の許可が無いとダメです」と言ったりする。つまり、白黒はっきりさせたがります。「好きなものを食べればいい」の一言で、その一瞬は幸せでも、その後肝臓の疼痛が生じたり、医者や家族にどう言い訳をするか悩み苦しむことになる。医師の指示を守り続ければ、あるいは家族のいう事に従っていれば、そのうちストレスが貯まり爆発するか、次第に意欲が無くなり、気力も失せてしまいます。
要は、「欲と科学的知見と社会的知見」の3者を、どう折り合いをつけていくのかが大事だということです。たとえば、医師と家族の折り合いを付け、介護者と外食に出かけた時、介護者の注文した鰻を1口か2口、召し上がっていただくとか、場面によって白黒はっきりつけずに落としこむ方法はいくつもあるはずです。
「まぁいいか」という感性こそが、介護していく上で、私が最も重要視していることです。

―本日は希望のもてるお話をありがとうございました―
 こちらこそありがとうございました。

(写真撮影:宮地たか子)

[参考資料]要介護認定の基準

  • 要支援1:生活機能の一部が若干低下。介護予防サービスの利用で改善が見込まれる。
  • 要支援2:生活機能の一部が低下。介護予防サービスの利用で改善が見込まれる。
  • 要介護1:日常生活のなかで歩行等の部分的な介護が必要
  • 要介護2:日常生活のなかで歩行・排泄・食事等の部分的な介護が必要
  • 要介護3:日常生活のなかでほぼ全面的な介護が必要
  • 要介護4:介護がないと日常生活が難しい
  • 要介護5:介護がないと日常生活ができない

※会について
ソクラテスの会
 
※サービス内容
サービス内容
 
※お申込みはこちら
入会案内