[賢人インタビュー]
ゲスト:岸見一郎(哲学者・心理学者)
前編

認知症と介護を考える時、避けて通れない「延命」の問題。どのような決断をしても、「これで良かったのか」という疑問と後悔は付きまといます。「延命を望むか、望まないか」は本人の課題、しかしどんな状態であれ親と子の関係は変わらない-岸見一郎さんご自身の介護と看取りの体験を交えて、延命について語っていただきました。

自分を責めない、理想を追いすぎない

―ずっと変わらないように接するということは、過去も未来も手放して、「いま、ここ」を大事にするということにつながるわけですね。とはいえ、さまざまな葛藤が出てくると思います。それに対してはどう向き合えばよいのでしょう。―

岸見:自分にできることをするしかありません。私の父は物忘れだけではなく、目が離せなくて困りました。「かつてはそんなことはなかったのに」と思うわけです。

その時できることは、「理想の親を頭から取り除く」こと。子育ても同じなのですが、理想の子どもとか、理想の親を頭に描いてしまうと、目の前にいる相手を理想からの引き算でしか見られません。理想を捨てて「生きていることが出発点」でそれ以外のものは全部プラスだって思えるようになると、親の変化も冷静に受け止められるようになると思います。

―でも、そうして自分が親と変わらないように接するようにしても、看護師さん、介護士さんの中にはそうでない人もいるのではないですか?―

岸見:今、目の前にいる父にも、かつては若い時があったということを知ってもらうために、若いころの父と母の写真を見せることがあります。目の前の父は弱々しい老人にしか見えないだろうが、親には今に至る前史があることを知って欲しいと思ったのです。

周りの人が親にどう接するかについては強要はできません。まず、自分が親を尊敬するところから始めるしかない。私と親の関係の築き方を見て、ああいう関係がいいと思ってもらえたら、それを真似ようとする人がいるかもしれません。そういうことは、言葉で伝えることは難しいですね。

―ここでも、課題を分離して自分の課題に集中する、ということですね。でも、自分の親に対する不本意な接し方を見て、それでも冷静でいられるというのは、強い心が無いと折れそうです。―

岸見:アドラーが「不完全であることの勇気(Courage to be imperfect)」という言葉を使っています。上手く行かない時は、たしかにあります。

それは、「いつも理想的な接し方ができなくても、親はきっと私を許してくれるだろう」という信頼感がなければ介護は難しいですね。でも親子の関係はこれまでも完全なものであったはずはありません。完全な育児ができたはずもありません。それでも子どもは許してくれたし、家に帰ってきてくれた。親と子どもってそういう関係だったのです。親子の関係が逆転しても、親だってきっと許してくれると思いたい。そう思えば、理想をあまり追い求めない方がいいでしょう。

なぜこういうことを言うかというと、理想だけが現実を変える力があると思っているからです。「話はわかるけど、現実的には無理だ」という人はいますが、現実はこうだと現実を追認するだけでは現実を変えることはできません。こういう関係を築くべきだっていう理想の対人関係の在り方を知っていれば、少しでも現実を理想に近づける努力はできます。

介護は綺麗事では済まないので、大変なことも多いです。でも、イライラして親に怒鳴ってもやむを得ないんだと現実に譲歩していると、親子関係は良くはなりません。

信頼があるから積極的に諦められる

―「理想をあまり追い求めないで、現実を直視し、未来のことは考えない、過去のことを忘れる」という話をされました。でもそれは「諦める」ということとどう違うのでしょうか。―

岸見:「諦める」という言葉の元々の意味は、「明らかに見る」です。それは、できることとできないことを見極めることです。現実の親が、突然過去のことを思い出したり、様々なことができるようになるのはおそらくあり得ない。それを嘆く必要はなくて、そういう現実をそのまま受け入れるしかありません。

―「理想を追い求めなくても大丈夫」というのは、親と子の関係は絶対で変わらない関係だからだと思うのです。一方で、介護をお願いするスタッフの方との関係というのは、契約があるから成立する条件付きの関係ですよね。―

岸見:そうですね。私は前者を「信頼」、後者を「信用」と言っています。

―この2つは同じとはいかないのではないでしょうか。―

岸見:仕事として介護や看護の仕事をしている人の中には「制服を脱いだら仕事は終わりだ」という人もいます。でも、家族は制服を脱ぐことはできない。いい関係を築くためには、ビジネスとして介護の仕事をされている方にも、一緒にいる時間は信頼関係をもってほしい。それが、いい関係を持つということだと思うのです。

―それはある局面では絶対に必要なことですよね。例えば、無条件の信頼関係がなければ、医師の治療なんて受けられない。―

岸見:冠動脈バイパス手術を受けたという話を先にしました。その手術の日の朝、回診に来た執刀医の先生に「君、笑っているみたいだけど怖いだろう」って言われたのです。それは怖いですよ。だって、心臓を止めて、モノのようになった身体にメスを入れられる。「怖いです」って言ったら、先生が「それはそうだろう。でも、俺は自信満々だ」って言ってくださった。それを聞いて、安心して、この医者を信頼して任せようと思えました。

「いま、ここ」を更新するための延命

岸見:この手術をしたのは51歳の時だったのですが、別の執刀医の先生に「70歳や80歳だったら絶対バイパス手術を受けないと思います」と言ったのです。すると、強い調子で「なぜだ」と聞かれました。手術をして、その後生きながらえる可能性があるなら、絶対受けるべきだと。

長く生きる、短く生きる、今が何歳ということとは関係なく、「いま、ここ」を更新できる可能性が少しでもあるなら、70であろうと80であろうと手術はすべきだ、ということです。
親と関わる時も「この先長くないのではないか」と思って親と関わるのではなく、とにかく今一緒に生きられたらそれが全てだと思うしかない。明日という日がどうなるか、誰にもわらないので、それはその日に考えるしかありません。

―今のお話は、「延命行為をどうするか」という、もう一つのとても重い問題につながる話だと思います。相当なご高齢になっていて、健康に命をつなげるわけではない、けれども心臓はとりあえず動いている、という状況の時、どんな選択をするか。―

岸見:難しいですね。まず一つは、本人の決断ができれば、それを優先したいと思います。でも、父の場合は自分では判断できませんでした。病院に運ばれて、「延命治療はどうしますか」と聞かれて、私は「延命はしないで、穏やかな着地ができる援助をしてほしい」とお願いしました。

そういう希望を伝えていたので、父が亡くなった時には、心電図がフラットになっても看護師さんがすぐには来られませんでした。最後の瞬間、心臓マッサージをすることがあります。馬乗りになって、肋骨が折れるぐらい力強く押す。でもそういうことはなかったので、私と妻と父、3人でかなり長い時間過ごせました。それから数十分して、当直の医師がやってきて、臨終を宣告してくれました。そういう別れ方ができて良かったと今は思っています。

私は人間というのは基本的に生きたいと思っていると考えています。「健康でなければ長生きしても仕方ない」というのは、健康な人が、元気な時に言う言葉です。あるいは家族も、親がまだ元気な時に言っている言葉で、実際は「たとえ脳死状態でも生きていて欲しい」という気持ちになる人の方が多いのではないかと思います。

本人が延命しないでくれと言うのは、本人の課題ですが、もし元気なうちであれば、家族と共同の課題にした方が安全だと思います。「私は延命して欲しくないと思っているけれど、あなたたちはどうなんだ」という話をする機会を持てれば、した方がいい。

実際、家族の立場で、「長く生きているから可哀想」とは思わないでしょう。もしも家族が医療者に延命治療をやめて欲しいと言わないといけないような状況があったとしたら、それは医療者側の問題だと思います。医師や看護師がきちんとケアをしていたら、家族は安心して延命して欲しいと言うはずなのに、医療者のやり方に家族が不安を覚えるからもうやめて欲しいと家族が言うのです。

亡くなった人も「いま、ここ」で生きながらえる

岸見:脳死の親に接する時、物だと思わないでしょう。柳田邦男さんが、息子さんが自死されて、数日間脳死状態だった時、「息子に普通に話しかけたら息子も私に応えた」とエッセイにさりげなく書かれています。言葉を発することは当然できないのですが、それでも「話しかけてくれた」という言っておられることの意味が私にはわかります。

その延長線上で考えると、亡くなった人も生きているのです。触れることも、声を聞くことも、見ることもできない、もはや知覚的に知ることはできません。でも、亡くなった人のことを思い出すでしょう。その時に、脳のどこかに蓄えられた記憶を今よみがえらせるのではなく、今、ここに、(亡くなった人は)いるのです。

亡くなった人は更新されないブログのようなもので、ブログを読んだら、その人はよみがえってきます。

―そこからも何か受け取るものがありますか?―

岸見:ありますね。今になって、父の言葉を思い出すことはよくあります。その時、「若い時は気づかなかったけど、あの時父はそういう意味で言っていたのか」って思い当たることがある。そういう意味では、死んだ人は無になるわけじゃなく、絶えず私の中で生きている。これは比喩ではなくて、本当にそうだなと思うことはあります。

昔の教え子の女性の話なのですが、お兄さんを20歳で亡くされたのです。とても仲のいい兄妹だったので、妹さんはとても悲しんで「あとを追って死ぬ」とまで思い詰められたこともありました。彼女があるとき、好きな音楽を耳にして、「これ、お兄ちゃんが好きだった音楽」とお兄さんに呼びかけました。その時、兄ががもうこの世の人ではないことに気づいたのです。でもその時、お兄さんはその場にいたのです。

―人の好みは記憶に残りますね。「あれ好きだったよな」って、そのたびに思い出していると思います。―

岸見:できれば、生きている間にいい関係を築きたいですね。いつ別れが来るかわからないので、喧嘩している場合ではないのです。

―ありがとうございました。―
(取材・文:板垣朝子 写真撮影:宮地たか子)

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