[賢人インタビュー]
ゲスト:岸見一郎(哲学者・心理学者)

認知症の介護と向き合う家族にとって辛いことは、自分の記憶の中にある親の姿が変わっていくこと。しかし、「対等な関係を築く」「自分の課題と他人の課題を分離する」というアドラー心理学の対人関係の原則は、介護で生じるさまざまな問題を解決します。ベストセラー「嫌われる勇気」の著者でもある哲学者の岸見一郎さんに、認知症の親との関係の作り方についてお話をうかがいました。

誰とでも「対等な関係」を築く

―岸見さんはもともとギリシア哲学の研究者でした。なぜアドラー心理学に心を惹かれたのでしょうか。―

岸見:きっかけは子育てです。1人目の息子が生まれた時に、妻の育児休業が終わってから保育園で預かってもらえるまでの4カ月ほど昼間一人で息子と過ごすことがあったり、その後も保育園の送迎が私の役目になって、非常に苦労していた時期が長く続きました。それを友人の精神科医が聞き知って、アドラーを読むことを勧めてくれました。

これで、自分と子どもの関係が劇的に良くなりました。自分の経験をふまえて、アドラー心理学を通して今の教育の諸問題などの解決の糸口を見いだせるかもしれないと思って、勉強し始めたのです。1987年頃のことでした。以来、哲学の研究をしながら、日本にアドラーを紹介する仕事をしてきました。当時は日本でアドラー心理学はほとんど知られていませんでしたので、自分がやるしかないと思い、英語とドイツ語の書籍をたくさん翻訳することになりました。

―アドラーを読んで、子どもとの関係が劇的に改善されたというのはどのようなことでしょうか。―

岸見:アドラー心理学の基本には、「相手が誰であれ、自分とその人の間に対等な関係を築く」ということがあります。そのためには子どもを叱らず、ほめないで接しなければなりません。大人同士の関係のように、できるだけ丁寧な言葉を使い、子どもに問題行動があれば、きちんと言葉で説明する、というようなことを一生懸命やり始めたのです。

英語のpersonの語源はラテン語のpersona(ペルソナ)ですが、元の意味は「仮面」です。人は役割の仮面を被っています。親子関係であれば私は「父親」という仮面を被り、息子は「子ども」という仮面を被っています。この二人が対等な関係として付き合うためには、仮面を外し、一人の個人として付き合っていく必要があります。

子どもだと思うから、上から目線で物言いし、叱りつけてしまうことになります。しかし、役割から離れた個人として付き合っていくことができれば、ぞんざいな言葉を使うはずはありません。そのようなことを考えて子どもたちと、付き合えるようになったことが、関係を大きく変えることになりましたし、それは子どもたちにも伝わりました。

他人の課題を引き受けてはいけない

岸見:もう一つ、よくある誤解は、「アドラー心理学の対人関係の築き方は冷たい」というもの。アドラー心理学の最終目標は、誰の課題かきっちり分けたうえで協力していくということです。協力するためには、誰の課題かということを、もつれた糸をほぐしていくために分けていく作業をまずしていかなくてはいけません。冷たい関係ではなくて、涼しい関係だと思っています。

―「誰の課題か」というのは、どうやって見極めるのでしょうか。―

岸見:最終的にその結果が誰に降りかかるのか、で判断します。例えば、子どもが勉強をしなければ、その結末は子どもにだけ降りかかる。勉強しなければ成績が下がって、行きたい学校があっても行けない、志望校の範囲も狭めなくてはいけなくなります。勉強しなかったということの責任は子どもが引き受けなければなりません。この意味で、勉強は子どもの課題なのです。

もう1つのポイントは、他者の課題は自分ではどうすることもできないということです。例えば、他の人が自分をどう評価するかは、他者の課題であって、私の課題ではありません。

「嫌われる勇気」という本のタイトルだけが一人歩きしている感があるのですが、「人に嫌われなさい」と言っているわけではなくて、「嫌われることを恐れるな」という意味です。あまりに人の評価を気にする人に、人から嫌われることを恐れなくていいと言いたいのです。もともと嫌われている人はこの上、嫌われる必要はありません。

―嫌われるのを恐れて忖度してはいけないということですね。―

岸見:忖度してはいけないです。言いたいことを言って、相手がどう思うかは相手の課題です。「こんなこと言ったら相手を怒らせるのではないか、嫌われるのではないか」と考えて、言うべきことを言わない人があまりにも多いです。

課題の分離ができれば一方通行の愛は怖くない

―「対等な関係を築く」「自分の課題と他人の課題を分離する」ことは、認知症の親、要介護の親と向き合う時にも必要なことでしょうか。―

岸見:はい。親は若い時に比べるといろいろなことができなくなっているし、今しがたのことを忘れてしまうかもしれない。でも、子どもと親の関係はかつてと全く同じで何も変わらない。だから態度や言葉遣いを変えてしまうということはあり得ないと私は考えています、それができれば介護も難しくないです。

かつての理想の親を頭に置いていると、「昔はできたことが今はあれもこれもできなくなってしまった」と思ってしまいます。でも、「できる・できない」ということと人間の価値は全く別の問題なのですから、親が以前と比べて劣った存在になったわけではありません。人間は誰でも生きていることに価値があります。たとえ今しがたのことを忘れて何度も聞き返されでも、そんなことは大きな問題にはなりません。

私の孫は1歳ですが、まだ言葉もあまり出ませんし、できることもまだ多くはありません。でも生きていることがありがたい。子どもと対等な関係を築き、子どもに対して敬語を使ってぞんざいな物言いをしない人であれば、認知症になった親に対しても同じ言葉遣いで接することができるはずです。

―対等な関係で接するといっても、一方で親の方は、特に認知症になってしまっている場合は、対等な関係を築こうというのはこちらからの一方通行の思いになってしまって、返ってこないんじゃないかと思うんです。―

岸見:一方通行のどこがいけないですか。ギブアンドテイクを考えるからおかしくなるのです。子どもであれ親であれ、尊敬しなくてはいけませんし、尊敬されないのなら尊敬しないと言うのは間違っています。
それは「課題の分離」につながります。私が「親と対等に接する」という決心をするのはすなわち子どもの課題です。それを相手、親がどう受け止めるかは親の課題であって、子どもの課題ではないです。それは大事なことだと思いますね。親がいつも子どもを尊敬していないと考えるのも違うと思いますが。

相手が愛してくれるのであれば愛そうというのは、愛ではなくて取引です。だから親が、たとえなにもわからないように見えても(親が何もわからないと言うのも本当ではありませんが)、そのこととは関係なく親を尊敬し、愛したいです。そう思って、いつも私は親と接してきました。

「ありがとう」と言ってくれた父

―岸見さんご自身も、親の介護の経験はされているのですか。―

岸見:母は49歳で、脳梗塞で亡くなりました。まだ学生の時で、1日18時間ベッドサイドに付き添っていました。普通に勤めていたらできなかったでしょう。人生の巡りあわせで、母の病床で過ごせて良かったと思っています。

父は長生きしたのですが、アルツハイマー型の認知症であることがわかって、一人暮らしをしていたのを実家に呼び戻したのです。その時ちょうど私自身が、冠動脈バイパス手術後で仕事を制限していたもので、昼間は私が介護することになりました。

自身も術後で、体力的にはきつかったです。でも見方を変えれば、介護をする役割になったので頑張れたとも言えます。

―その時も、お父様とは、先ほどお話しされたような接し方をされていたんですね。―

岸見:もちろん、そうです。かつていろいろなことが分かっていた親が、今しがた食べた食事のこともわからない。私が用意した食事を食べた直後に、もう食べたことを忘れてしまいます。しかし、そのことで父への態度を変える必要はありません。

でも、その父が、「ありがとう」って言うようになりました。アドラー心理学はほめないという話をしましたが、代わりに「ありがとう」っていう言葉をかけようという提案をします。これは、言われた人が貢献感を持てるためです。自分が役に立てたと思えた時に、自分に価値があると思える。そういう援助をするために、誰に対しても、「ありがとう」という言葉をかけるのです。

だから、親にいつも「ありがとう」という言葉を僕や妻がかけるようになったら、これまでの人生であまり「ありがとう」と言わなかった父が、たとえば食事を用意したら「ありがとう」、食器を下げようとしたらまた「ありがとう」って言うようになりました。で、その次に「食事はまだか」と尋ねます。

でも、今し方のことを忘れただけですから、「あ、今食べたで」って言えば「そうか」って引き下がってくれました。そういう関わり方をしてきました。

忘れてしまったことは仕方ない

岸見:認知症を患っていても、時々ふっと霧が晴れたように霧が晴れたような日が来ます。「あ、今日は以前の父だな」ってわかった日があります。そんな日に父が、「忘れてしまったことは仕方ない」と言いました。

母のことを父は忘れてしまっていました。この家で、一緒に皆で暮らしていたではないかと言っても「いや、知らんな」と言いました。でも、無理に昔の記憶をよみがえらせようとしてはいけないと私は考えています。

でも、その霧が晴れた日は、おそらく父はおぼろげに母のことを思い出しかけていて、でも、どうしても思い出せなくて、「夢の中に女の人が出てきて、誰か別の人に『あの人が奥様ですか』って聞かれた」と言いました。思い出さないといけないのだけど、思い出せないということを踏まえて「忘れてしまったことは仕方ない」ということを言ったのでしょう。仕方ないというのは、父にとっては諦めではなくて、覚悟だったのです。

―自分がもしそういうことに行き当たったら、冷静に接する自信がないです。―

岸見:難しいですね。今の話の流れで言うと、父は必要があって忘れる決心をしたのです。「自分にはかつて妻がいて、一緒に4半世紀を暮らした。でも、その妻は早くに亡くなり、私はその後の人生を一人で生きている」ということを80歳になった父が覚えていることが、果たして幸せかどうかわからないのです。忘れたかったのかもしれないですね。

親が過去のことを忘れた時に動揺しないことが大事なことです。覚えていないことを責めても仕方ありません。

過去も未来も手放して「いま、ここ」を生きる

―自分が忘れられていたら、やっぱりショックですね。―

岸見:ショックだと思いますね。不思議なことに、父は私のことは覚えていました。でも、覚えていないこともあります。子どもの頃私、父に殴られたことがありました。それなのに「忘れてしまったことは仕方ない」と言うのです。父は母のことを言ったのでしょうが、そうか、父は忘れたのか、となかなか複雑な思いではありました。

私が過去のことを忘れなかった目的は、父との関係を再建しないためだったのです。でも、今ここにいる父との関係を良くするためには、過去の思い出は手放さないといけないことに思いあたりました。父の方が先に「忘れてしまったら仕方ない」って言ったのなら、こっちも忘れるしかないと思って、私も過去を手放すことにしました。

だからどうでも良くなったのです。、父と2人で一緒に過ごした時のことは、誰も知らないのだから、どちらが正しいとか間違っていたとか、今さら言っても仕方がない。そう思ったとたんに、これまでのことは全部どうでもよくて、今ここにいる父との関係だけが大事で、今日ここで機嫌よく過ごしてくれたらそれで嬉しいとだと思えるようになりました。

人は過去を思って後悔するのです。子育ても介護も、後悔の集大成です。十分注意したつもりなのにちょっと目を離したすきに転倒したとか、そんなことはたくさんあります。気にしてたら介護できないです。元気な時だって、もっといい関係を築けていれば良かったと思っても、もう過去に戻ることはできない。過去を手放せば、後悔もしなくなります。

他方で、未来も手放す。未来を思うから不安になるのです。

―未来も手放す、ですか。―

岸見:まだ来ていないことを思い煩わないということです。父がいつか死ぬだろう、いつか別れが来るだろうと思うのはすごく怖かった。でもある日思ったのは、人は1回しか死なないのだから、その日までは父がいつ、どこで、どんな死に方をするということは考えないでおこうと思ったときに、「いま、ここ」を生きることができるようになりました。

未来というのは「未だ来たらず」というよりは、ただ、ないのです。だから人間の人生というのもそういうもので、過去もなく、未来もなく、「いま、ここ」しかない。それなら長生きするのもそうでないのも関係ないのです。

後編に続く
(取材・文:板垣朝子 写真撮影:宮地たか子)

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